月と海

戯言も書けば文学

人生の通過点は曇りなく

同棲と結婚は通過点に過ぎない。

結婚は、家庭をもつこと。子どもを一緒に育てること。困難にぶつかっても匙を投げずに何とか2人で乗り越えて、病める時も健やかなる時もお互いを労り、信頼を積み重ねていくこと。そうして自分たちの居場所、帰る場所=家庭を作ること。その揺るがない心の拠り所を築き始めるきっかけが結婚だと思う。

 

その生涯の相手とは血は繋がってない。つまり他人。そんな相手との共同生活は言わば異文化交流だ。その前提を理解した上で、価値観や味覚、金銭感覚はある程度足並みの揃う相手であって欲しいとも思う。

 

そう考えたら、もし生涯のパートナー候補が現れたら、同棲した方が効率的にそれを把握できるんじゃないかと最近思う。

 

同棲は、互いに縺れ合わず、自分の均衡を保つことが重要だと思う。一人の時間が確実に減る中で、やりたいことを貫き通す意思。自分勝手にという意味ではなく、時間をしっかり作れるということ。そしてそこに集中すること。さらにお互いがお互いのそういった時間をサポートできること。これは双方の真心や信頼がないと出来ないことだと思う。

 

嫌なのは、同棲を始めたから○○が出来なくなった、という言葉。言いたくないし思わせたくない。物理的に出来ないこともあるかもしれないけど、お互いの人生を最大限尊重し合いたい。

 

そうして価値観を共有してお互いの時間を尊重して行く中で、この人と家庭を築きたいと思った時に結婚すればいいのかな、と思う。

 

同棲をしてもし価値観が合わないなら、きっと私は、早い段階で別離を選ぶと思う。合わないと思ったら、その時は多分お互いがそう思ってるはずだから。好きだけど、だからこそ、恋人同士を継続したいわけではない。家庭をもつとなった時にパートナーとして信頼できるか、価値観を合わせてみるのは早いに越したことないと思う。お互いのためにね。

 

別離の道を歩くことになっても、ポジティブでいたいと思う。辛くても別れは出会いの始まりで、永遠に辛いことはない。だけど永遠の愛はある。永遠の愛は、存在するのではなく証明するものだって、本が教えてくれた。その愛を証明したいと思う相手かを近くで一緒に生活して、私の心に聞きたい。替えのきかない一度きりの人生だから、妥協なんてしないもん。

 

これからきっと何度も悩むと思うけど、心の目が曇らないように、ここに痕跡を残しておく。

同棲=結婚ではない。

やりたいことが出来なくなって、同棲を言い訳にしてしまったら、自分に矢印を向けて見つめ直して。もし相手と価値観や人生観の歯車が噛み合わないのなら、相手と向き合って。それでも本当に本当に噛み合わないのなら、別離。情はかけない。お互いのために。