月と海

戯言も書けば文学

不完全は人間の愛嬌

最近、感情の起伏を内側に留めておけている気がする。心に波風が立っても、自分にベクトルを向けて。相手は相手、変えられない世界で、私が変えられるのは私の内側だけ。

 

そう思えるようになってきて、これが完璧にできるようになっていったら。誰にも相談する必要もなくなる。というか一人で生きていける。

そう考えて、思った。私は完璧に自分をコントールできなくていいかも。自分一人で生きて行きたいわけじゃないし、弱い部分は寄りかかれる人間になりたい。潔い人間もかっこいいけど、悩んで考えながら生きる人間も結構すき。もはや愛嬌。

 

単純に、相談って苦手。長女だからか、本当に辛い時って耐えて我慢することがほとんどだった。そうやっていくうちに一人で割となんでもできるようになってきた。

でも弱みをさらけ出して適度に人に寄りかかれる人間味のある人になりたい。

 

そして、自分の大切な人にはとくに、弱くていいと言いたい。

 

感情の起伏があっていいし、迷って答えが出ないときがあってもいいし、昨日と言ってることが違くてもいい。人間、日々何かに影響されてくから、昨日と今日の自分が違うのは、みんな一緒だし。私もそうだし。

図太く飄々とした鎧を纏って生きる社会の中ではさらけ出せない部分、みんな持ってる。と思う。弱さ脆さをポジティブ変換しても、辛いときは辛いし。人知れず打ちひしがれて飲み込んで消化されるのを待つこともある。

 

その、普段口にもできない、脆いところをさらけ出してくれたとき、受け止められる私になりたい。理解できなくても、受け止める。ここ重要。

上手くいっている時、都合のいい時は大抵誰でも優しくできる。自分が辛いとき、相手が弱ってるときに、いたわる事ができるか。相手の抱えていたものが汚くて黒い感情だったとしても、表面だけで判断せず否定せず寄り添えるか。

 

この人になら気兼ねなく背負ってる荷物を見せられるな、と思われる人。その荷物を見たとき、いつも変わらない温もりを持てる人。そんな存在になりたい。人知れず。

冬を思う

東北の寒さは痛い。今日はもうその片鱗を肌に感じて、ひとつ思った。この東北の寒さは、東北人に忍耐や四季の色濃さを教えてくれてるんじゃないかなと。

 

今までは、寒さに耐えるために身を縮めて歩いてたけど、最近は自然や季節、地球と共にある素朴な風でありたいし、忍耐強い草木のようでありたいなと思う。

まじで誰やねんって感じだな。。。

 

草木が強風をいなしてまっすぐ生える姿って、凛としててかっこいいと思う。私の中の大人としての理想像。

 

ただ強風を我慢するだけが忍耐じゃなく、その厳しい環境を受け、いなし、まっすぐ生える機会をじっくり待てることが忍耐だと思う。

だから、冬の寒さに対しても肩の力を抜いて身を任せてみようかな。そうやってあらゆる厳しさをいなしていける人間になりたい。

 

あとは雪が降って綺麗な冬景色を早く見たいなー!土曜の朝に早起きしてちらちら降る雪を眺める。去年作ったあの曲をピアノで弾いて。傍には淹れたてのコーヒー。想像しただけで美味しい。好き。優勝。

やりたい事、なりたい姿

最近、どういう人生を歩いていきたいのか考える。28年生きてきて今、思うこと。

 

・感情はいつも鮮やかでありたい。

・自分の心に素直でありたい。

・音楽を奏でていたい。

・本の中に埋もれている素敵な言葉をたくさん心に取り込みたい。

・朝早起きしてゆっくりコーヒーを淹れたい。

・時間の流れがゆっくりになる一時を大事にしたい。

・健康な食生活を送りたいし、大事な人には同じように健康な食生活を贈りたい。

・チャンスを掴めるよう常に準備をしておきたい。

・何かに期待しない。

・いつでも宇宙を感じていたい。

・一生を通して真摯に向き合いたいと思えるコンテンツを見つけたい。

 

年齢にとらわれがちな人間生活だけど、歳って生まれて何年経ったかのカウントでしかないよな。生まれてから現在までで人間がどれほど深まっているのかは、十人十色。逆に出汁の薄い味噌汁人生だったとしても、自分が濃くしたいと思った瞬間からいくらでも深められる。

 

今の自分の心がGOと言ったらGO。それに対して、早いとか遅いとかはない。今から大学に行こうが新しい楽器を始めようが、自分は何者とも比べようのない唯一である以上、比較することで生まれる「早い」「遅い」という表現は不適切。いつでも心の赴くままでよくて、それが私の人生のon time。

人生の通過点は曇りなく

同棲と結婚は通過点に過ぎない。

結婚は、家庭をもつこと。子どもを一緒に育てること。困難にぶつかっても匙を投げずに何とか2人で乗り越えて、病める時も健やかなる時もお互いを労り、信頼を積み重ねていくこと。そうして自分たちの居場所、帰る場所=家庭を作ること。その揺るがない心の拠り所を築き始めるきっかけが結婚だと思う。

 

その生涯の相手とは血は繋がってない。つまり他人。そんな相手との共同生活は言わば異文化交流だ。その前提を理解した上で、価値観や味覚、金銭感覚はある程度足並みの揃う相手であって欲しいとも思う。

 

そう考えたら、もし生涯のパートナー候補が現れたら、同棲した方が効率的にそれを把握できるんじゃないかと最近思う。

 

同棲は、互いに縺れ合わず、自分の均衡を保つことが重要だと思う。一人の時間が確実に減る中で、やりたいことを貫き通す意思。自分勝手にという意味ではなく、時間をしっかり作れるということ。そしてそこに集中すること。さらにお互いがお互いのそういった時間をサポートできること。これは双方の真心や信頼がないと出来ないことだと思う。

 

嫌なのは、同棲を始めたから○○が出来なくなった、という言葉。言いたくないし思わせたくない。物理的に出来ないこともあるかもしれないけど、お互いの人生を最大限尊重し合いたい。

 

そうして価値観を共有してお互いの時間を尊重して行く中で、この人と家庭を築きたいと思った時に結婚すればいいのかな、と思う。

 

同棲をしてもし価値観が合わないなら、きっと私は、早い段階で別離を選ぶと思う。合わないと思ったら、その時は多分お互いがそう思ってるはずだから。好きだけど、だからこそ、恋人同士を継続したいわけではない。家庭をもつとなった時にパートナーとして信頼できるか、価値観を合わせてみるのは早いに越したことないと思う。お互いのためにね。

 

別離の道を歩くことになっても、ポジティブでいたいと思う。辛くても別れは出会いの始まりで、永遠に辛いことはない。だけど永遠の愛はある。永遠の愛は、存在するのではなく証明するものだって、本が教えてくれた。その愛を証明したいと思う相手かを近くで一緒に生活して、私の心に聞きたい。替えのきかない一度きりの人生だから、妥協なんてしないもん。

 

これからきっと何度も悩むと思うけど、心の目が曇らないように、ここに痕跡を残しておく。

同棲=結婚ではない。

やりたいことが出来なくなって、同棲を言い訳にしてしまったら、自分に矢印を向けて見つめ直して。もし相手と価値観や人生観の歯車が噛み合わないのなら、相手と向き合って。それでも本当に本当に噛み合わないのなら、別離。情はかけない。お互いのために。

偉人たちの恋愛格言

偉人たちのラブレターっていう書籍があったなーと思って、ネットで漁ったら、偉人たちの恋愛格言が出てきた。結構面白かったのでここにいくつか残しておこう。

 

▼ルソー(哲学者)

良いラブレターを書くには、まず何を言おうとしているのかを考えずに書き始めること、そして何を書いたのかを知ろうとせずに書き終わらなければならない。

 

…良い。昔手紙を書くのにハマったけど、また書いてみようかなー!

私は書くまでにアウトラインを固めて、書き始めてから1文字でも違うと思ったら全部書き直すし、書き終わったあとはしっかり見直す。

でも、こういう書き方も楽しいかも。

 

ドリー・パートン(女優)

虹を見たければ、ちょっとやそっとの雨は我慢しないとね。

 

やん素敵。こういう考え方のできる女子が素敵女子だと思う。憧れ〜!人生観にも恋愛観にも置き換えられるなー。

雨が降ってる時の状況や感情を嫌がらず、無視せず、向き合って寄り添って行こうと思う。虹見たいですから。

 

ソクラテス(哲学者)

とにかく結婚したまえ。良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる。

 

かっこいい。ソクラテスの妻は実際、世界三大悪妻の一人だったらしい。すごい説得力だ。でも悪妻を持って哲学者になれた彼は、逃げずに相当色んなことと向き合った人なんだと思う。ほとんどの人は哲学者になる前に離婚するから。

 

ほかにもたくさんネットに載ってたけど、とりあえず面白いと思った3点をpick。

 

格言っていつも何かに気付かされる。次は偉人たちのラブレター、書籍買おうかな。明日は本屋さん行ってパン屋さん行って公園かな。

内向的陰キャの勝利

私は内向的な人間だと思う。消極的かと言われると、そうではなく、自分の世界に集中することに忙しいから、あまり社交的に生きたいと思っていない。

 

仕事をすることが好きだけど、一生仕事をしていたいわけではなく、ひとつのことにひたむきに向き合うことが好きなんだと思う。なのでそこにはあまり結果を求めてなくて、打ち込むことが目標になってるかもしれない。

 

それでも結果的に、先日会社で優秀社員賞を頂いた。心当たりが無さすぎて言葉が出なかった。これはひとえに、ひたむきに向き合ってついてきた結果なんだと思う。

 

 

自分は内向的なただの陰キャだと思ってたけど、、、この性格結構強くね。

水のような存在でありたい

世の中に美味しい飲み物ってたくさんある。

そのときに飲みたいものは気分によって違う。

 

一時期、ココアをヘビロテで飲んだり、トマトジュースの美味しさを知って毎日色んな種類を漁って飲んでたこともあったな。

 

でも結局は水にたどり着く。

味があると飽きが来て、ちょっと休憩したくなる。水を飲んで一息。これでリセット。

 

人間関係も似てるなーと思う。

友人との刺激的な会話が癖になって毎晩電話したり、すごくウマが合うなと思った同僚との飲み会が立て込んだり。

 

それでもふとした瞬間飽きがくる。

ココアやトマトジュースにハマった時期もあったけど今はあんまり飲んでいないように。

これが来てしまったら急激に波が引いていく。

 

そういう存在はきっと、人生を豊かにするためには必要。でも苦楽を共に一緒に歩いていく存在としては違うかな。

 

生涯のパートナーを考えたとき。

(最近の私のトレンド)

 

相手にも、これから色んな出会いがあると思う。地球上に存在する半分が異性なら、単純に出会う半分も異性。

そこに対して、盲目的な時ほど陥りがちなのが、異性との出会いを制限する行為。でもこれはパートナーの人生の豊かさを制限するのと同じだと最近思う。

 

なぜなら刺激的な存在は、自分の感情を鮮やかにする大切な存在で、人生の豊かさに繋がっていると思うから。

 

恋愛初期によくある現象で、お互いパートナーこそが最上、これ以外はおざなりにしてしまう状態。これはこれで共依存で気持ちいいと思う。私も束縛されたい願望芽生えたことあったし。

 

けどそれは支えあうというより、もつれ合っていて、その関係のままだと一緒に人生を歩いていく上ではちょっと危険だなーと思う。

 

共依存期はあっていいと思うけど、そこから生涯のパートナーとして見ていくには進化が必要と思う。

 

なぜならお互いこれからたくさんの出会いがあって、一時的に優先順位が逆転してしまうことも全然起こりうる。そのときにもつれ合った関係のままでいると、パートナーへの激しい嫉妬で狂い病むメンヘラが誕生する。

 

そう考えた上で、パートナーに望むのは、どんな出会いがあって友達や同僚と楽しい時間を過ごしても、最後には私のとこに戻ってきてほしい、ということ。

 

ジュースに飽きて水が飲みたくなるみたいに。毎朝のルーティンで水を飲むみたいに。

 

一緒にいて常に楽しいとかではなく、肩に力を入れる必要もなく、息を吸うような感覚で隣にパートナーがいてくれるのがいい。相手にとってもまた、そんな存在でいられたらいい。

 

帰ってくる場所であり、安心するような存在でありたい。すべてを受け入れ、どこまでも穏やかな、あの大きくて広い海もまた水であるように。